北インドの遺産を訪ねて
~現在躍進のインドを建築家の視点・保存を個人視察する~
執筆者:畑山正勝
(朝日建築事務所)
世界的に第3世界の時代と報道されている北インドを今回視察した。デリー・ベナレス・アグラ・ジャイプールとインドでは有名な都市をバスと列車他を利用してインド社会の現状体験を終え紀行文として掲載をしました。
7月13日から19日の1週間の旅程で雨季のデリーに到着、雨季のはずが結果幸いにし1日も雨によることが無く帰国後日本の熱射に驚いている次第です。
先ずベナレスの都市迄飛行機で行きサナルートをスタートとした。当地は仏陀が始めて説法をした寺院「三蔵法師がたどり着いた終着の場所」や仏塔等の遺跡群が保存されていた。保存状況は庭園式に開放され各部分は現在補修進行中で丁寧に保存されていた、石造群は全てインド砂岩で築造されている。
翌日早朝ガンジス河に行く、朝5時夜明け前には既に多くの信者が列をなして河に向かって進行。宗教は問わずとの事、途中多くの牛・犬・羊・山羊・豚・人間が動物と同じく朝露で濡れた路上で寝そべりその間を信者が通り、又その隙間を荷車・牛車・人力車・電動式力車・自転車・バイクと秩序無く騒音とクラクションと鉦と雑踏の中、一路続いている。
このエリアは沐浴では一番有名な大切な場所の様である。河は黄土色に薄黒く濁りきった水で、河に沿って城壁・いくつもの寺院・みすぼらしい住宅と火葬場と連なっている。この河には雨水、汚水、雑排水、家畜の汚物、洗濯用水、火葬場の洗い水が流れ込み、しかも3歳未満の幼児の遺体は石に繋がれ放流されている。
信者達は我先にと沐浴に、顔を洗い、歯を磨きこの水を口に含みその場で吐き出しその隣で汚れた衣服を洗っている風景が、聞いていたものの現実を目の当たりにすると大きな衝撃を受け、其の夜次の目的地に夜行寝台列車移動をした。
サナト-ル仏塔
ガンジス河の沐浴
ガンジス河の火葬場
タ-ジ・マハ-ル 宮殿全容
翌16日はアグラに到着、駅は改札も無く牛が大きく寝そべり多くの人間が糞尿の横、ごろ寝で一夜を明かした様で異臭が漂っていた。
このアグラでは誰もが一度は訪れたい世界で一番美しいと言われているインドを代表する建築:タージ・マハールを見学、幸い雨季のせいか観光客は意外と少ないようであった。宮殿位置はやはり雑踏とした広い貧困な旧街の中心にあり一歩宮殿に足を踏み入れると其処は広大な遺跡のエリアとなっている3つの宮殿のゲートの中心にこの白亜の宮殿が前庭広大な中に非常に美しく優雅で気品のあるシンメトリーの建物の佇まいに体が膠着したかのように圧倒され動く事にもためらいを感じられた。
優雅な曲線の外観を大理石で覆い、デザインは文化のレベルの高さを髣髴と感じさせている。その全てに細密な彫刻が、気の遠くなるような連続でしつらえた宝石のような偉大な建物が眼前に広がっている。現在の建築物では忘れ去ったかのような言葉「立派な建物」が再び感じられた事に喜びを得て、後ろ髪を惹かれる想いで次の世界遺産アグラ城へと移動、雄大なこの城は全てインド砂岩で覆われて非常に重厚な城砦である。内部様式はヒンズーとイスラムの混合様式となっている。床、列柱、壁、天井には宗教文字と幾何学模様の彫刻が所狭しと施されている。
7月17日ジャイプールに移動この大きな都市も周囲びっしりと貧困の世界の中に佇んでいるファイティプールシクリ宮殿と窓のデザインで有名な「風の宮殿」を視察。何れもインド砂岩で全てを覆われて緻密な彫刻が施されている特にファイティプールシクリ宮殿は王の宮城として広大な広さを誇り日常生活のエリヤとなっている。
7月18日旅の最後の訪問地となったデリーのフマユーン廟とタージ・マハールの設計者の立派な廟を訪ねる。次に石造建築ではインドで最も高い73mのクトゥミナ-ル塔が最後となった、足元直径約30mのこの塔の外装は隈なく彫刻が施されている。
対面には当時この塔3倍の面積と3倍の高さの計画をした塔で20m部分で王の崩御と共に中断された建造物も遺産として保存されていた。
最後にインド視察を終えて、特に約500年前の遺産の周囲で現代文化を享受出来ない貧富の差と、教育を受ける事の出来ない文盲の、牛馬以下生活、の生まれながら家族裸のホームレス生活が現実としている事が世界で一番美しい建物と、同居の事実に切実に感傷的な想いでインドを後にすることになりました。
アグラ城の列柱
室内に施された彫刻
風の館
巨大な塔
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