支部からのお知らせ

  • 投稿:2009年8月3日
  • by

【連載】保存再生 建築家の視点

環濠自治都市 平野郷の保全、再生状況
保存1
執筆者:吉岡昌一
(吉岡昌一建築設計事務所)
去る7月11日(土)環濠自治都市 「平野郷」をたずねました。
天王寺からJR大和路線で5分で平野駅に着きます。
ここが環濠都市 平野郷の最寄り駅で、古くから「堺」と並ぶ「平野」が大阪中心部よりたいへん近いのに驚きます。
他の交通機関では地下鉄谷町線「平野」駅があるのだから大阪に近いと言うより、「大阪の中の平安時代からの大阪」というのかもしれません。
当日は大阪市平野区の区民ホ-ルに所属されているボランティアで、平野郷に詳しい福島さんにガイドをお願いしていたので、近くで待ち合わせし平野郷についてお話を聞きました。
福島さんは「平野郷」にたいへん詳しい方で、とうとうと流れるように平野郷についてガイドブックに書いたら分厚くて持てなくなる程のボリュームで、多方面に渡って考察も深く、人と人のつながりも「よくそこまで知ってますね」というほど詳しいのにびっくりしました。


大阪の平野筋はこの平野から命名されているとのことや、大阪の「末吉橋」は「平野郷」の代官末吉氏であることなどを聞くと、思わず大阪の安土町通りが滋賀県の安土から命名されたのだろうかと思ってしまうし、(確かに創業者が滋賀県出身である丸紅大阪本店は安土町通りに面している)また、信長の築城地で有名である安土から商人を呼び寄せて秀吉がつけた名前だろうかとか、どんどん想像が膨らんでいくのでした。
町の名前、通りの名前、橋、などはぜひ残してほしい建築と同じ文化財です。
通りの命名もとであろう滋賀県の安土町も合併で町名がなくなるそうです。
話題は尽きませんでしたが、聞いているだけでは平野に来ている意味がないのでまずは大念仏寺に参拝です。
たいそう大きな寺で、平野郷の勢いが偲ばれます。本堂は火災にあって昭和13年に再建されているそうですが、戦争前のこの時代によくこれだけの建築資材を集めたものだと感心します。府内最大の木造建築です。
次に杭全(クマタ)神社に向かう途中に泥堂町の寄付者掲示板が歩道際によく見えるかたちで設置されていました。内容は平成21年度のもので、寄付金の額が500円の人から、上は金額が書いていない人まですべて掲示されています。まちのお金をうまく集める仕組みがその名の通りガラス張りにされています。思わず、誰がいくら寄付しているのか見てしまいます。上手です。
上には平野郷のシンボル「ちょうちん」がありました。企業のコマーシャルでしょうか。ちょうちんには企業名が書かれています。商売人は個人と違ってもう少し寄付しようと思ってしまうような感じです。まちの活力はやはり財源確保でしょう。
保存2
寄付者名簿
杭全神社の本殿は春日神社からの移築だそうです。移築は木造建築には簡単で、LCCO2(ライフサイクルシーオーツー)で考えても炭素量が少なくて環境にいい最古最新のローCO2技術です。
当日は夏祭りで、参道に屋台が設営中でした。よく見るとこれが実にうまく出来ているのです。柱、腕木は木製でボルト一本で固定されています。屋根角度の調節用に柱、梁の何ヶ所か穴が開いていてここに方杖金物を固定して角度を調整する仕組みです。テントがついた桁は伸縮性の物干し竿を利用して横幅を自由に変更できるようになっています。これを先端上部を少し欠いた腕木にテンションをかけて引っ掛けるのです。このような仮設建築は軽やかで非常に気持ちがいいものです。ずいぶん長い時間をかけて洗練されてきたのでしょう。保存は建築のかたちだけでなく、ぜひ残してほしい建築技術も対象です。
保存3
屋台設営中1
保存4
屋台設営中2
散策中、夏祭りの太鼓台に出会いました。楽しそうです。私がいままで見たことがないかたちにびっくりしました。
保存5
夏祭りの太鼓台
杭全神社を後にして、町並みを散策しながら「ひらの映像資料館」にいきました。
ここは「平野郷HOPEゾ-ン協議会」で、町並み保存のボランティアで活躍されて居られる松村さんから「平野郷の町づくり」をお聞きしました。これは歴史的・文化的な雰囲気の町並みなど、地域の特性を活かしながら魅力ある居住地をつくるため、地域の人々と大阪市が協力して行っている事業で、この中心となるのがこの協議会です。松村さんが会長(惣年寄)です。協議会になる前からの活動は約30年くらいになるそうです。
これくらいの地道な住民活動があって初めて平野郷のまちづくりがゆっくり、じっくり進んでいる感じです。平野郷以外の人も自由参加だそうです。
平野郷HOPEゾ-ン協議会では「まちなみガイドラインの策定」「まちなみ修景」「町屋情報バンク」「まちなみ憲章の策定」「地区計画」「まちを知るワークショップ」「防犯・防火」等たくさんの事項を進めてこられています。
いくつかの修景事例も見せてもらいました。修景事例1の家は電話番号が0001番だそうで、「町で一番最初に電話を引いた家」だそうです。これを聞くだけで往時が想像できて面白いです。
保存6
修景事例 1
保存7
修景事例 2
平野郷は環濠集落、平野氏、坂上田村麻呂の第二子である坂上廣野麻呂の屋敷跡、その子孫にて七名家の一つである末吉家、近松門左衛門、重要文化財の奥家、元庄屋屋敷をそのままレストランに使っている平野郷屋敷、まだまだ整備・修景されていない往時の大邸宅などもまだまだあるようです。建物、歴史、文化、そこに住む人々などが縦横に絡み合ってまちづくりが現在も進行中です。
保存8
重要文化財:奥家
保存9
往時の大邸宅
もっと書く事がいっぱいあるのですが、私の文章を読むより、まずは行ってみることをお勧めします。
ガイドの福島さん、松村さんに会ってみることです。
きっと往時の平野郷にタイムスリップできます。

カテゴリー
アーカイブ
最新のお知らせ
2024年9月19日
「2023 年度 JIA 優秀建築賞」高槻城公園芸術文化劇場 見学会
2024年9月18日
JIA近畿支部ウェブサイトURL変更のお知らせ
2024年8月20日
わたしの考える万博パビリオンデザインコンクール(応募締切9/16 18:00)
2024年7月22日
ビアパーティー2024
2024年7月18日
建築家に知って欲しい「長寿命化に資する高意匠製品」 塗料に出来る事:エスケー化研からのご提案