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  • 投稿:2009年8月3日
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【連載】都市点描

住宅地の再生について
都市1
執筆者:富安秀雄
(市浦ハウジング&プランニング 顧問)
私が住宅地の計画に参加するのは、1950年代の後半、日本が高度経済成長期に入る直前であった。日本中各地で住宅団地の建設が開始された。その殆んどは、地方自治体や、住宅公団による公的住宅団地であった。団地の住宅は、低層木造集合住宅もあったが、多くは、鉄筋コンクリート造(以下RC造と書く)の中層共同住宅であった。
RC共同住宅は、戦前にも同潤会アパートに例などあるが、広く全国的に普及するのは昭和30年以降で、団地設計マニュアル等も作られ、住戸の日照や、プライバシーの確保等が示されたが、団地空間の形成は、設計者の個性が反映された。


昭和30年代はじめに私が、団地計画に参加した頃には、久米権九郎氏は健在で、氏の計画された神奈川県公社の浦島団地(1949年)や、大阪市の古市団地(1952年)等、スバラシイ団地空間が作られていた。
昭和30年には、住宅公団が発足した。昭和31年頃、都の桐ヶ丘団地計画が開始され私も参加したが、久米事務所が北方、市浦は南方を計画した。計画中、久米氏が見えて、住棟を僅かズラすことで、空間に変化が生まれることを、教えて頂いたことが忘れられない。住宅公団にも、後に高蔵寺NTの計画を担当する津端氏など、団地計画の達人がいて、赤羽台や、前原団地等、スバラシイ団地が作られた。昭和30年代は、正に団地計画の始動期であり、昭和40年代に入ると、すぐれた団地設計者も増加して、全国各地に見事な空間を持つ団地が続出する。又民間のディベロッパーも次々と生まれ、民間の住宅団地も出現する。1970年になると、我国の住宅不足は解消し、以降は住宅の質の改善の時代となる。1980年以降は、老朽化した木造団地を中心に団地建替えが開始された。RC造の団地でも1970年代以前のものは、住戸が狭いことが理由で、建替えられる事例が出現し、次第に全国的に実施されて、今日に至っている。RC共同住宅は、耐久性からは、寿命は数十年と云われ、大阪府営団地では一室と浴室を増築することで、狭小住戸改善の例があるが、古い団地は、立地条件が良いこともあって、建替えによって、高容積化して住戸数を増やしたり、住戸数はそのままにして、余剰地を処分する等の手法による建替えが広く一般化しているのが現状である。
既述の様に、古い団地は確かに、住戸規模は狭小な住戸が多いが、団地空間は優れたものもあり、住民に愛されているものも多い。建替えではなく、増改築の手法で問題に対処する方向も、一般化することが必要である。
十年程前から、団地再生研究会(現在はNPO法人となった)を創って、建替えによらない、団地再生の手法の検討を進めているが、ヨーロッパの団地再生には、実に多様な実例があって、参考になる。
住戸規模の増加の例は、既述の様に、我国にも例はあるが、実に多様な実例がある。又中層住棟でのエレベーター設置は、我国でも実施されているが、これも様々な方法があって感心する。団地によっては、減築手法によって、住戸を減し、新施設を導入して、団地施設を多様化して、魅力増を行う等、我国でも実現したい事例が豊富である。このような事例を見ていると、我国の住宅の価値が、立地の条件・規模・新しさの3点で評価され、その環境や空間への評価が殆ど無いことに気付かされる。
写真はドイツ西部のライネフェルデ市の団地再生事例で、中層住棟にエレベーターを設置した例。手前は3階まで、隣りは2階まで、その先は無し。高齢者等には、優先的に1階に住んでもらい、3階に住まざるを得ない時は、3階までエレベーターを付けている。(我国では、一律に5階まで全階段に付ける例のみ)
都市2
ライネフェルデ市の団地の再生事例

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