山崎正和氏 講演会
担当世話人:峠 一雄/田中啓文
1月例会は、劇作家であり評論家、教育者でもある山崎正和氏をお迎えし、近著「装飾とデザイン」の中からレクチャーをお願いした。
出席者は49名。(部会員27名、部会員スタッフ7名、一般15名)禁煙ファシズム批判をされたこともある山崎先生からすれば、おそらく全館禁煙の会場はご不満であったろうと思われるが、恐縮ながら講演前の一服を建物の外でしていただくのに思いのほか時間をとってしまい、定刻より10分ほど遅れて例会は始まった。(当日早くからお集まりいただいた皆さんには大変申し訳ありませんでした)最初に、当部会世話人である峠一雄氏の弟さんでジャーナリストの峠淳次さんから、今回山崎先生を紹介いただいた経緯などについての説明があり、いよいよ先生の講義開始。人間には「する人間」と「ある人間」の2種類があるとの話を皮切りに、先史時代から現代の工業化社会にいたるまでを通して、「装飾」と「デザイン」という2つの言葉から捉えたスケールの大きな造形論が途切れることなく展開する。年齢を感じさせないかくしゃくとした語り口、ご自身の考えを生き生きと聞き手に伝えていくエネルギーに感心させられる。やはり、建築や都市に関わる話題が多いのは建築家集団の中でのレクチャーということでの先生のご配慮のようだ。素人が玄人に話しをするのは具合が悪いなどと言われながらも、山崎先生独自の建築論や都市論を含め一時間以上に渡って一気にお話いただいた。特に印象に残った言葉を以下に記しておこう。
■「人間にはする人間と在る人間の2種類があり、人間は本来この両義性を備えている。そういった人間が文明史を形作ってきた」
■「在る人間は視る人間であり、視る人間は環境と向かいう中で、自分にとって特別な個物と結び合い個物を大事に思うことで安心を得る」
■「初期の宗教建築は内部空間が存在しないものが多い。農業が発展し都市国家が成立した後建築は内部空間を持ち始め、垂直な壁を見た人間の造形意欲をそそり、装飾が生まれた」
■「デザインとは、計画の実現にあたりつくりながら考えることを否定する。デザインはデッサン(素描―造ろうとするものの全体のアウトラインを予め描く行為)と同根であるが、近代芸術(最終作品の製作過程で素材の抵抗を受け試行錯誤を繰り返す)とは対立するものであると言える」
■「都市計画は、する人間の仕事(デザイン)であるが完全な都市計画は存在しない」
■「パリの貧民窟の大改造を行ったナポレオンは地上げ屋の先祖であるが、そんな改造後のパリの街に忽然と出現したエッフェル塔は都市の装飾そのものである」
■「建築は都市と常に戦っており、建築家は永遠の装飾家である」
■「工業化時代に入り、建築の細部から固有の形を持ち手仕事の痕跡を残す「もの(素材)」が失われた」
■「工業化時代の建築は素材としての原型を持たない鉄とガラスとコンクリートで出来ており、そういった工業製品は浪費される宿命にある。一方で元に戻りたいという意思をもつ素材は、崩壊しても再生が可能である(ドイツのドレスデンの建築)」
■「現代の建築からは土地に根ざした記念碑的な性格は失われ、街は「ながら建築(習慣化された視覚で漠然と見渡す建築)」であふれている」
山崎先生講演の様子
山崎先生によれば、「装飾」と「デザイン」という2つの造形意志は、表裏一体となりながら文明史を形作ってきたが、さしずめ20世紀は「デザインの精神が極限まで造形を支配し、装飾を抑圧し排除した時代(「装飾とデザイン」265頁)だったとのことである。そうすると、著書のなかでは語られていない20世紀後半のポストモダニズムの一時的な隆盛や、近年村野建築が再発見されようとしていることなどは、そのような時代状況の裏返しなのかもしれない。
終盤の質問タイムで楽しそうに質問に答えられている先生の表情はいきいきとして若々しく、常に知的探究心を持ち続けながら、話すこと自体を楽しまれている様子であった。また決して偉ぶらず気さくな人柄も印象的で、有志で催した慰労会の席は、さながら大学の山崎ゼミの学生(少し老けてはいるものの)が、飲み屋で先生を囲んでわいわいがやがや盛り上がっているかのような風情でもあった。
先生の著書「装飾とデザイン」を、興味のある方はぜひ一読されることをお勧めします。最初は少しとっつき難くとも、読み込むうちに、普段私たちが何気なく使っている「装飾」と「デザイン」ということばが想像以上に大きく深い意味を持って語りかけてくる「山崎ワールド」が知的な刺激とともに堪能できるはずです。
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