JIAデザイントーク2008
—————————————————————————–
●2008年度 第2回デザイントーク
開催日:2008年9月26日(金)
コメンテーター:芦澤竜一、長坂大、長田直之、吉村篤一
司会:青砥聖逸
発表者:荒谷省午、堀部直子
会場:大阪市中央公会堂地下大会議室
—————————————————————————–
■荒谷省午氏(荒谷省午建築研究所)
発表作品/TRAPEZOID(兵庫県西宮市)
敷地は阪神間の街並を見下ろすような斜面地にある。ここに陶芸家のアトリエを併設した住宅を計画した。
建ぺい率40%、道路からと隣地からの壁面後退線がそれぞれ2m、1mという厳しい法的制約から8m×9mの台形平面が導き出された。グラウンドレベルでは台形の平面が頭頂部では正方形へと変形していき、その痕跡である稜線が西側のファサードを形成する。そうしてつくられた1辺約8mのほぼ立方体のヴォリュームを削りながら外部と内部を絡ませるように空間をつくっていった。
全体の構成については住宅とアトリエという用途的条件を手掛りとしている。アトリエは陶芸を始めとする文化教室やギャラリーとして開放されることを想定し、敷地の高低差を利用してアプローチ階を用途区分層とすることで住居部分とは区画した。そして1階・地階を比較的パブリックなスペースとし、2・3階をプライベートな居住空間とした。さらに水平方向に積み重ねられた4つの層を垂直方向に貫くように内部や外部にヴォイドを設け、機能的に分断された各層に繋がりを持たせ、全体的な流動感を生んでいる。
西側ファサードを形成する稜線は4層を貫くヴォイドを上部へ絞り込み、3階テラスを囲う傾斜したガラス面はその外部を内部へと引き込もうとする。そうした斜線によって建物全体に視線の抜けが生じ、台形状に風景が切り取られる。均整のとれた形態に重なる斜線が空間を揺さぶり、ミニマリズムに代表されるような静の空間ではなく、躍動する住空間となることを期待した。
構造はRC造の厚肉ラーメン構造として自由な造形とし、その外皮としてチタン亜鉛合金板を被せて外断熱の工法とした。また素材については、セメントレンガやベニヤといったありふれた物を使いながらもその使い方を少し工夫することで新たな素材の表情をつくることを試みている。
外観写真(撮影者:絹巻豊)
内観写真(撮影者:絹巻豊)
■堀部直子氏(堀部直子建築設計事務所)
発表作品/十月桜の家(大阪府高槻市)/広陵の家(奈良県北葛城郡)
○十月桜の家
敷地の周りには住宅が密集している上、西側の駐車場にはいずれ建物が建つであろうこと、北隣が新聞販売店であり、早朝から営業される事などを考え、中庭を設け、敷地全体を壁で囲み、外部に対しては閉じる事にしました。
ただし、東側の細い里道に圧迫感を与える事は避けたかった。そのために出来る限り高さを抑え、中庭のシンボルツリー“十月桜”は道行く人も楽しめるようにしました。
居住空間は中庭に向けて大きな開口部を設け、中庭、及びその上部を内部空間の延長として感じられるように工夫しています。
また、衣類は水まわりのそばの納戸に収納するようにし、着替え、洗濯、収納の動線を短くしました。
更に「シンプルな家にしたい」というクライアントの希望やコスト面の問題もあったために、扉を極力設けないようにしています。
結果的にはそれによって風通しの良い、ミニマルな空間に仕上ることができました。
十月桜の家(外観写真)
十月桜の家(内観写真)
○広陵の家
敷地の3面が道路に面しており、様々な角度から建物を見られるため、デザイン、色などそれ自体が主張しすぎず、住まう人の生活に自然になじむようなシンプルなものを考えました。
2階リビングプランのなど、お施主様のご要望を踏まえていくと1階よりも2階のボリュームが大きくなるのですが、低層住宅地の町並みに合わせるため屋根形状は2階のボリューム感を比較的感じさせない切妻屋根を採用し、2階リビングの天井もその形を利用して勾配天井としました。リビングの天井は一番高い部分では3.6mになりますが一番低い部分は2.2m程度でヒューマンスケールを意識した高さに抑えています。
また、その天井の勾配を南側の軒に連続させることで、リビングに立ったときの目線は軒の流れに沿って1階の庭に植えた紅葉の方向へ導かれるようにしています。
開口は南北に設けているので通風もよく、トップライトからの光も明るい、心地よいリビング空間に仕上げることができました。
広陵の家(外観写真)
広陵の家(内観写真)
■コメンテーター総評コメント
お二人が独立してすぐに自邸をつくっていることに感銘を受けた が、何故それが可能なのかについて現代を見る視点としては説明できなかった。単にお二人が恵まれた経済環境にあっただけかもしれません。
自邸をつくる「構え」について話題になった。「建築家の自邸」の 「構え」が鮮明だった70年代、建築家は自邸で住宅の可能性を語りながら建築の可能性を語っていた。日常的な目線で住宅を語り建築を語ろうとしている今日の2住宅とは大きく異なっている。
それはそうだろうと思う。建築家が建築の可能性を探求することは当然だし、建築家がその時代の「普通の住宅」の提案をすることも職能のひとつだろう。だとすれば、この2つの関係が社会背景に大きく左右されるのは当然のことだ。70年代に比べれば、2000年代の日本の住宅建築文化は一定の成熟型社会の様相を見せており(誤解の多い成熟ではありますが)、社会に対する 「構え」についていうなら、成熟期と転換期の差が大きく出るのは当然のことだからだ。
◆TRAPEZOID/物としての完成度の高さ/総合的空間理念の破綻の面白さ/ばらまかれたシークエンス◆十月桜の家/「岸和郎」空間の可能性について
◆広陵の家/完結性の高いプランと環境条件の調和と対立/対立は今後の可能性
お二人の今後の活躍を期待しています。【長坂 大】
「TRAPEZOID」は内外空間が絡み合った変化のある空間は、作者の意図どおりに魅力的にできているが、外観との関連性が希薄であるところが一考を要するところであろう。
「十月桜の家」はシンプルな平面計画と樹木の配置が素直であり、破綻のない住宅としてよくまとまっている。ただ3人の師匠の領域にとじこもることなく、独自の手法を展開できるよう精進されることを望みたい。【吉村篤一】
関連記事