建築家 阿曽芙実(阿曽芙実建築設計事務所)敬称略 日時 2025年6月21日
参加者(青年委員会) 池井健、眞野サトル、田辺弘幸、西本寛史、邊見栄俊、北條豊和
オブザーバー(建築家) 浅野大輔、出江潤、京智健
今回は、2015年 第10回関西建築家新人賞、2019年 第63回渡辺節賞、2019年 第47回日本建築士会連合会賞優秀賞を受賞され、建築・インテリア、ランドスケープをはじめ、建築から派生する幅広い設計活動を展開している阿曽芙実さんにお話を伺いました。
Hat houseの模型を前に空間のつくり方を説明する阿曽さん
〇 建築家を志したきっかけ
阿曽さんは、小学生のときに近所の設計士のおじさんが家を設計してくれて、いわゆる普通じゃない家で育ったことが建築空間を考え始めるきっかけになったそうで、せまい家だけどその分工夫が詰まっていることにだんだんと気づき、そのうち、「私やったらここ、こうするのにな」というところも増えてきたといいます。キャリアウーマンだったお母様の影響で、これからの時代に女性も自立して活躍できる世界ってなんだろうと考えたときに建築の道を選んだとのことです。それでも、大学で専門教育を受けてからは、「建築って思っていたのと違う」と感じたそうで、3年生くらいから講義以外で院生室に通うようになって、それから視野が広がっていったそうです。
〇 スタッフの育て方について考えていること
良いことも悪いことも隠さず伝えるタイプだそうで、クリエイティブなことだけでなく仕事人としてあるべき姿勢なども感じたことは共有していくスタンスだそうです。アトリエ事務所だからといってトップダウンというわけではなく、なるべくスタッフの考えやアイデアを出してもらえるような雰囲気で仕事が進められるように心がけているとのことです。
〇 事務所を神戸市中心地から現在地に移転して変わったこと
阿曽さんは「寂しがり屋」だそうで、はじめは賑やかな元町に事務所を構えていましたが、ご結婚されてから住んでいたのは御影だったそうです。ご主人が大阪方面へ通勤されるので、三宮より東のエリアで2年くらいかけて土地探しをされたとのことです。当時は「子どももいないのに、なんで住宅街にこもらないとあかんねん」という気持ちが強かったそうで、お子さんを妊娠されてからは、職場に通うスタイルをあきらめ、自宅兼アトリエ「Hat house」をつくろうと考えるようになったようです。
〇 幅広いクライアントとのお付き合いでの気遣い
設計キャリアの初期に比べ、素材の扱い方が変わったといいます。壁材を娘さんの名前にちなんだ突板を使ったり、ご主人は淡路島南部の出身なので瓦を使って建築をつくれないかと考えたり、基礎工事で地面を掘ったときに出た土で土壁をつくったり、建築が土地に根差すものだからこそ、その土地やクライアントに繋がる「何か」をきっかけにして、提案をしていくのだといいます。物語性をしっかり持たせることができてそれがクライアントに響いたときは、提案者として「勝った!」と思えるそうです。
〇 「Hat house」でシンプルにやりたかったこと
せっかくご自宅兼アトリエにお邪魔して、阿曽さんワールドの空間を楽しませていただいたので、阿曽さんに「Hat house」でシンプルにやりたかったことを質問しました。いろいろと尽きないお話でしたが、「木造トラス」「巨大トップライト」「物語をもった素材をいろいろ使う」・・・といったようなお話が主に出ました。どれも建築空間を根幹の部分で構成する要素になっていて、やりたいことを一貫して設計することの重要性を改めて感じるお話を聞かせていただきました。予算が収まらないのがわかっていて、一度RC造で設計をやりきって、案の定大幅予算オーバーで現在の計画にて設計をやり直したというエピソードも阿曽さんの前のめりな設計姿勢を窺い知ることができ興味深かったです。
お邪魔したHat houseの模型
2階のリビングダイニングで参加者を交えて
今回の取材では、阿曽芙実さんのご自宅兼アトリエをJIA近畿支部 青年委員会メンバーで訪ね、建築家としての阿曽さんの思考やそれにより生まれる空間を体験、紹介することを通して、建築家の熱意と職能を世に発信する機会に繋がったと感じています。建築家のしごとは本来公益性を持ったものであり、我々建築の世界に所属するメンバーだけでなく、広く一般の方々に触れる機会を創り出していきたいと考えています。これからも「THE DIALOGUE」をよろしくお願いいたします。
関連記事